農園negu
須賀 智昭さん
Profile
1980年生まれ。18歳から10年間生花店勤務。その後フラワーデザインを学ぶためフランスに留学し、帰国後就農。京都市右京区京北地域での農業研修や福知山市での農業を経て南丹市に移住。
家族や仲間と楽しく暮らすというのが人生の醍醐味
この景観をぜひ保っていきたい
Point
移住までの経緯フランスで循環型有機農業にふれ、食材のおいしさを実感し、自分で作ってみたくなった
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京都市右京区京北地域の農業法人で研修
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知人より住宅と農地を紹介してもらい、現在に至る
もともとフラワーデザインのお仕事をされていたが、フランスでの留学をきっかけに農家の道を選んだ。
「尊敬しているフランスの花屋さんに研修生としてついていましたが、そのオーナーがノルマンディ地方に牧場を持っていて、その近くで有機栽培している農家に泊まり込みで3か月ほど農業を体験しました。そこの野菜がめちゃめちゃうまかった。もちろん街にスーパーもあるけど、全然味が違った。その時点で花じゃなくて自分で作ってみたい、帰ったら農業をしようと思ったんです」(智昭さん)。
その後、帰国した際に空港でとったご飯、みそ汁、魚のなんでもない朝ごはんのおいしさに思わず涙がこぼれたそうだ。
「イタリアンもフレンチもおいしいけど、離れてみると日本人が欲しているのはやっぱりお米だと思って、おいしいお米を作りたいと稲作を始めました」(智昭さん)。
「南丹市の有機農業講座に講師で来られていた丹波ハピー農園の堀さんが市内で水田を6haほど無肥料でされていて、無肥料でそこまでやっている人を初めて知りました。すごいと思っていきなり弟子入りして、1年間雇ってもらって指導していただきました。いろんな話を聞かせてもらったが、時代的にも自分は相当恵まれてると思ったので、だからぜんぜんやっていけます。また、僕がラッキーだったのは、はじめお借りした田んぼの隣が合鴨農法をされている方だったこと。こういう方もいることが分かったし、安心してここで無肥料栽培で農業をすることができました」(智昭さん)。
Point
お気に入りの場所・モノ神吉の国道から見える田園
農家食堂Aubeさんの料理
「神吉はものすごく住みやすいです。人懐こくて気さくやし、土地柄やと思います。みんな世話を焼いてくれる。街ではあいさつもしないようなまったく無関心のところもある。でもここは親戚づきあいくらいの感じでみんなあいさつしてくれる。子どもを大事にしてくれて、みんな孫のように接してくれる」(憩子さん)。
「今は統合してしまったけど、小学校の運動会が区の運動会なんですよ。小学生12人しかいないんですけど、小学生が出ずっぱり、保護者も出ずっぱり。でもすごいたくさんの人がみんな楽しそうに参加していて、その雰囲気がなんかええなあと思いました」(智昭さん)。
「毎日の暮らしですね。おいしいものをみんなでうまいなって言いながら楽しむ、それが一番。大都会で毎日パソコンに向かって遅くまで残業していっぱいお金貯めて、要所要所で海外旅行行くっていう幸福もあると思う。でも僕は毎日の今この瞬間を生きんとって思う。それに人生はものすごく短いです。毎日おいしいものを食べるためにただ一生懸命働いて、おいしいものを食べる。そして家族や仲間とコミュニケーションとりながら楽しく暮らすというのが人生の醍醐味じゃないかなと思うんです」(智昭さん)。
「塾や習い事をどんどんさせて子どもをスキルアップさせてレベルの高い大人にしようというのもひとつ。でも毎日の生活はごはんをひとりで急いでありあわせのものを食べてて、子どもも休む暇がないんですよね。それもひとつやけど、家族の時間をしっかり持てることの大切さは今しかしてあげられへん。それはここにいて過ごさんと気づかないのかも」(憩子さん)。
「神吉でお米の仕事をしつつ、お花のことも少し増やしていきつつ。最終目標にしたらあかんのかもしれんけど、最後はレストランをやりたい。パリで同居してた人が来てくれそうで、ソムリエなのでその人引き抜いてできたらいいなと思っています。5年後くらいにはできたらいいなと。恐れ多いですが、空いていく田んぼがあったらカバーしてこの景観をぜひ保っていきたい。きれいなとこなんで」(智昭さん)。
人とのつながりを大切に毎日をていねいに暮らす。神吉での未来について語る須賀さんご夫婦の夢は明るく、その手で農業を守り自然の美しさをつないでいく。
Message
移住を考えている人へ
検討している移住先の新規就農者やIターンの方にお話を聞くとよいかもしれません。
もし、農業をされるのであれば良い師が近くにいることが大切だと思います。